2026/01/28 13:54

民藝論を提唱した柳宗悦氏が、かつて当地に立ち寄り鉄器を買い求めたという逸話は、以前から耳にしていました。
もっとも、2020年代となった今では、その多くを伝承として受け止めていたのも事実です。

そんな折、英語圏向けに出版された一冊の書籍を手にする機会がありました。

『SOETSU YANAGI Selected Essays on Japanese Folk Crafts』

その表紙を飾る作品のひとつが、五代目及富が製作した「台子釜 不二型」でした。

私の曽祖父でもあります。
伝え聞いていた点が、確かな線として結ばれた瞬間でもありました。

現在、この作品は日本民藝館に所蔵されているようです。

すでに製作されることはなくなり、長い年月が経過していますが、私たちの手元にも同型の釜が保管されています。
大変貴重な所蔵品であり、また後世に伝えるべき資料でもあります。

時代は移ろいますが、先人が遺してくれた作品群は、現代においても多くの示唆を与えてくれます。
「故きを温ねて新しきを知る」という営みのなかで育まれる世界は、民藝や工芸という枠に留まるものではなく、静かに、しかし確かに受け継がれていくものだと感じています。

先日、海外のお客様から次のような言葉をいただきました。

「お湯を沸かすことの喜びを知った」

茶釜も鉄瓶も、道具としての役割はお湯を沸かすことにあります。
その手段だけを見れば、現代にはより効率的で便利な選択肢が数多く存在します。

それでもなお、「お湯を沸かす」という行為そのもの、そしてその時間に宿る体験に目を向けると、数百年にわたり使い継がれてきたこれらの道具には、単なる機能を超えた価値があると言えるでしょう。

火を囲み、人が集い、語らい、湯を沸かし、茶を飲み、酒を酌み交わし、煮炊きをする。
そうした営みの積み重ねこそが、暮らしの基礎であり、社会の原点なのかもしれません。


先人たちへの感謝と敬意をこめて。
直接会ったことはなくとも、先人たちの背中は、今も私たちのそばにあります。

(菊地海人)